なんだ、ゴメンナサイって。
誰に対しての謝罪だ。
ひとりっこの母親って、何とも言えないこんな気持ちになる人が多い気がする。
ごめんなさい、とは思わなくても、なんとなくモヤモヤする、折に触れこの話題を反芻する、そんな経験ないかな?
ひとりっこになる(する)理由は人それぞれで、あえて作らない人も、欲しいけどできない人も、もうこりごりで打ち止めな人もいる。
我が家は今のところ「選択ひとりっこ」。
仕事との兼ね合いや引っ越しなどのライフイベント、自分たちの体力や気力を総合的に判断したところ、「今はふたりめを考える時期ではない」という結論に至っている。
でもなんで「ひとりっこで、ゴメンナサイ」なんて思うんだろ。
思い当たるひとつは、子供の経験。
きょうだいがいる、という経験は、親がそうしないとできないもので、親が複数子供を持たないかぎり、子供はこれを享受できない。
下の子がいれば上の子はガマンすることも多いけど、「ガマンする」という経験を積めるのも下の子がいるから。
きょうだい同士で仲良く遊ぶことも、おもちゃを取り合ってケンカをすることも、無駄になる経験なんて何一つなくて、「きょうだいがいない」っていうだけでこれらすべての経験ができないわけだ。
よくも悪くも、きょうだいで遊んでいるお友達の姿を見ると、ムスコに対して「きょうだいがいるという経験をさせられなくて、ゴメンナサイ」って思う。
ふたつめは、ママ友との差。
世は少子化問題が騒がれておりますが、2人3人と子供のいる家庭の多さよ。
ひとりっこ家庭の方が少ないんじゃないかな?って思うくらい、少なくともわたくしセイノの周りにはきょうだいのいる子が本当に多い。
以前も書いたけど、子供が増えればそれだけ親の負担はあらゆる面で増えるわけで。
子供の数に比例はしないけど、間違ってもひとりっこの方が大変、ということはありえない。
そうすると、ひとりしか子供のいないわたしは、なんだか、楽をしているような気持ちになるんだよ。
下の子の世話をしながら上の子を見る、下の子を抱っこしたままグズる上の子を抱き上げる、なんかもう、みんながみんな、スーパー母ちゃんに見えるんだ。
そこでひとり、もうすっかりお兄さんになっちゃった3歳のムスコと話してるだけのわたし。
なんだこれ、自分だけ楽じゃん。肩身狭い。
「わたしだけ子供ひとりで楽してて、ゴメンナサイ」って思う。
みっつめは、周りからの刷り込み。
親しい友達やママ友、親なんかから「ふたりめどーすんの?」って聞かれるのはいい。
度々悩んで相談しているから、ふたりめに関することも単なる共通の話題でしかない。
でもね世の中面白いもんで、ひとり産んでいると「身体的にも経済的にも産める環境の人」という認識が強くなるのか、びっくりするくらい気軽に「ふたりめ作らないの?」って聞いてくる人が多いんだ。
職場の上司(おっさん)とか、道端でちょっとしゃべったおばちゃんとか。
特におっさん。
適齢期でもあるわたしの産休育休の心づもりを探りたい気持ちも分かるが、何度だって聞いてくる。
聞いてくるだけじゃなく、「うちは2人産んだよ!」「うちなんか3人」とか競いだす。
おいおっさん、「産んだよ」じゃねーよ、産んだのあんたの奥さんだろ、お前産んでねーじゃんいい加減にしろ!
と思いながら笑顔で「ソーデスネー、カンガエナキャイケナイデスヨネー」って返してますけど。
こうやって、出産可能な時期を過ぎるまで、これからも何度も何度も言われるんだろうな。
そして言われるたび「ひとりしか産まなくて、ゴメンンサイ」って思う。
きょうだいがいることが絶対的に良い、というわけではないけれど、きょうだいがいた方が良いことが多いのは確かだろうし、少子化対策を考えると、一組の夫婦がひとりしか子供を産まなければ人口は増えないから産んだ方が当然良い。
んなこたぁ、分かってる
分かってるけど、でもそれでも、自分の能力ではこれ以上は難しいんじゃないだろうか、体力がもたないんじゃないだろうか、これ以上自分の時間が減ることに耐えられるんだろうか、今ひとりで抱えている仕事を放り出していいのだろうか、経済的に余裕がなくなるんじゃないだろうか、子供が望む教育を与えられなくなるんじゃないだろうか。
尽きぬ悩みで、踏み切れないのだよ。
たぶん、産めなくなるまで悩むと思う。
それまで長いような、短いような。
2014年11月18日
二子玉川在住の某大学キャリアカウンセラー(JCDA認定CDA)。あらゆる世代の女性の就労支援がテーマ。二子玉川育ちの家事上手なオットとマイペースで自由人なムスコと3人で二子玉川ライフを満喫中。